年末特集17回目の今回は、いまやテニス界のみならずスポーツ界のヒロインとなった
マリア・シャラポワを特集する。
シベリアで生まれ、4歳でテニスを始めたシャラポワは、マルチナ・ナブラチロワにその才能を見出され、数百ドルを手に父と二人でフロリダのニック・ボロテリー・テニス・アカデミーの門をたたいた。一日も早く両親を楽にしてあげたいという強い気持ちが彼女を支え続けた。自身、当時を振り返り「私の家は裕福でなかったけれど、一生懸命夢に向かって努力を続ければ、きっと夢はかなえられると信じていた。たとえ夢に届かなかったとしても、自分の全てを出して努力したのであればきっと後悔はしないはずだから。」と語っている。
ここ数年のシャラポワの大躍進には驚かされる。2002年末には186位だった世界ランキングが、そのわずか一年後には32位まで跳ね上がり、翌2004年には、全仏オープンでベスト8進出を決め、ウィンブルドン制覇を達成してしまったのだ。また年度末にトッププレーヤーだけで争われるWTAツアー最終戦でも優勝してしまうという偉業も成し遂げてしまったのだから驚きだ。このときのシャラポワは、まさにアメリカンドリームを体現しているかのようだった。ちょうどこの頃、モデル・エージェンシーと契約を交わすなど、同じロシア出身のアンナ・クルニコワとその活動内容が似ていたことから比較されることが多くなったが、多くの選手がシャラポワとクルニコワは全く違うと断言する。モニカ・セレス曰く、「彼女(シャラポワ)の目を見れば、彼女がただものでないことが分かるはず。すさまじい練習量に支えられた自信と、絶対に負けないというファイティング・スピリットが溢れている。着実にツアーで結果を出し続けているところだけを見てもアンナとは似ても似つかないわ。」と、語っている。
そして迎えた2005年、世界ナンバー1の座を完全に射程圏内におさえたシャラポワだったが、彼女を待っていたのは「シャラポワ包囲網」だった。それまでは常にチャレンジャーだった立場が一転し、全選手が打倒シャラポワで挑んでくるようになる。追う立場から追われる立場へ。この微妙な変化がプレーに影響を与えたのか、常に安定した成績を残しつつも、全豪オープンでは準決勝で
セリーナ・ウィリアムズに敗退し、全仏オープンでもベスト8どまり、連覇のかかったウィンブルドンでも優勝した
ヴィーナス・ウィリアムズに敗れてしまう。取りこぼしは少ないものの、あと一歩のところでどうしてもビッグタイトルに手が届かない。シャラポワにとっては消化不良の日々が続くことになる。
しかし、そんなシャラポワを待っていたのは世界ランキング1位という別の栄冠だった。他選手に比べ、取りこぼしの少ないシャラポワは着実にランキングポイントを積み重ね、8月のUSオープン前にはダベンポートを抜きさり見事世界1位へ躍り出たのだ。結局、数週間後には1位の座を再びダベンポートに譲ることにはなったが、それはシャラポワの強さを垣間見た瞬間であった。
今シーズン、出場したツアー15大会全てでベスト8以上と非常に安定した成績をのこし、短期間ではあったが世界1位にも就いた。鮮烈なデビューを果たした昨年ほどではなかったが、シャラポワにとって充実した1年であったことには間違いない。当然、来季の活躍に期待がかかるところだが、肩や胸筋に故障を抱えているなどまったく不安材料がないわけではない。トップ選手の故障が相次ぐ中、ぜひとも来シーズンは、元気な姿でグランドスラムでの2度目のタイトルと、世界1位への返り咲きを期待したいところだ。