男子テニスで世界ランク5位の
錦織圭(日本)がバークレイズATPワールドツアー・ファイナルズを終え17日に帰国し、18日に日本記者クラブで会見を行い、デビスカップや今年の全米オープンについて話した。
これまでスポーツ選手が日本記者クラブで会見を行うのは、プロ野球選手のイチローや野茂英雄、松井秀喜などが行ってきたがテニス選手が行うのは初めての事となる。
デビスカップについて錦織は「日本はかなり強くなってきています。ワールドグループにもいるので。またカナダとの対戦なので、もちろんスケジュールが合えば出る気でいます。デビスカップで活躍して日本チームの底上げをすることは自分自身をレベルアップできる場所でもあるので、これから日本がもっと強くなることを目指してこれからもやっていきたいです。」
げん担ぎはしますかという質問には「げん担ぎをしようとしたことはあったのですが面倒くさがり屋で、2日も続きませんでした。基本はルーティンをこなします。2時間前に食事をとり、グリップテープを巻きなおしたり、音楽を聴いて集中します。試合前はなるべく1人になるようにして、自分の時間を設けて試合について作戦など考えます。」と答えた。
続かなかったげん担ぎについては「ラケットに番号つけて順番に使ったり、ラインを踏まないようにしましたが続きませんでした。」と話した。
USオープン出場については「僕自身はあまり出たくなかったです。手術したばかりで、痛みもあったのでリスクを犯したくありませんでした。チャンコーチに相談したら過去の経験談を聞かされ、とりあえずニューヨークにしぶしぶ行きました。しかしそのおかげで決勝まで残れましたので感謝しています。」と語った。
コーチになることについては「コーチに関しては自分がまだキャリアを終えてみないとわからないです。コーチをしてみたいというのはありますが、自分が選手としてわがままでマイペースでやっているので、コーチが出来るのかわからないですが、終わってみて考えます。」と答えた。
諦めないでよかった瞬間はという質問に錦織は「今年は怪我が例年に比べ減っていたので、あまり怪我と戦うこともなく、体力面で心配することも無くなりました。しかしUSオープンは初めての経験で、7試合5セットを戦う試合もあって、その中でも強い気持ちを持って、体が痛いながらも自分にムチを打ってモチベーションを上げて試合をして一番自分を追い込んだ2週間だったと思います。」と話した。
これまでで諦めないでよかったというのは「2009年に肘の手術をして、1年間試合に出なかった時にテニスを辞めたいとまでは行かなかったですが、リハビリに苦労して、なかなか治らなくて、イヤになった時期もありました。目標が全く見えなくなった時もあったので、そういう時を乗り越えて今があるので嬉しです。」と振り返った。
錦織は日本記者クラブ恒例のサイン帳にサインと『5位』と書いたことについては「思いついた言葉が5位でした」と答えた。
最後に、会見を行ったお礼として記念品のネクタイが渡され会見を終えた。
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