男子テニスの国別対抗戦デビスカップ決勝 イギリス対ベルギー戦(ベルギー/ヘント、クレー)は29日、
A・マレー(英国)が
D・ゴファン(ベルギー)とのエース対決を6-3, 7-5, 6-3のストレートで制し、イギリスの79年ぶりとなる優勝で幕を閉じた。
79年というデビスカップ史上最も期間の空いての優勝を決めたマレーは「我々がやり遂げたなんて信じられない。またこんな機会は訪れないかもしれない。今夜はお祝いをしなければ。」と試合後に受けたオンコート・インタビューで答えていた。
イギリスは、1900年以降全てのシーズンでデビスカップに参加している唯一の国。この日の優勝は10度目で、それはアメリカの32度、オーストラリアの28度に次ぐものとなった。
しかし、その優勝までは長い道のりがあった。最後に優勝したのは、F・ペリーがエースとしてイギリスを率いた1936年にまでさかのぼり、決勝進出も1978年以来のことだった。
鮮やかなバックハンドのロブを決めた瞬間に勝利が決まると、マレーはフランダース・エクスポ・アリーナのインドアのクレーコートに仰向けで倒れ込んだ。
チームメイトもマレーの元へ駆け寄り喜びを表していたが、マレーはすぐに起き上がりベルギーと握手を交わし、対戦相手へ敬意を表していた。その直後にマレーは、チームメイトやコーチによって胴上げされ宙を舞った。
2013年のウィンブルドンで、イギリス人が77年間待ち望んだ地元優勝を成し遂げたマレーは、イギリス・ベンチへ腰を降ろすと、国旗であるユニオン・ジャック・フラッグに覆われ顔が見えなくなってしまった。これでマレーは、グランドスラム2度の優勝、オリンピックでの金メダルに加え、デビスカップのタイトルも獲得したことになった。
「最後は最高のポイントで終わりに出来た。こんな大きな戦いで優勝出来るなんて信じられない。1番感情的になった試合だったかもしれない。これ以上のことはない。我々のテニス人生で、確実にハイライトの1つになるだろう。試合を通してずっと興奮していた。」とマレーは語っていた。
世界ランク2位のマレーは、今年出場したデビスカップ全てで勝利を飾った。
マレーはワールドグループが作られた1981年以降、1982年の
J・マッケンロー(アメリカ)、1983年の
M・ビランデル(スウェーデン)に次いで3人目となる同一シーズンでデビスカップのシングルスで8勝0敗の成績をおさめた選手となった。
イギリスのL・スミス監督は「彼(マレー)がチームのために成し得たことは、本当に凄いこと。本当に信じられないし、驚きでもある。」とマレーを称賛していた。
28日に行われたダブルスでも実の兄の
J・マレー(英国)と組んで勝利をあげているマレーは、1995年の
P・サンプラス(アメリカ)以来となるデビスカップ決勝戦で出場3試合全てで勝利を飾った選手となった。同時に、2005年の
I・リュビチッチ(クロアチア)以降では同一シーズンのデビスカップでシングルス・ダブルス合わせて11試合で勝利を飾った2人目の選手となった。
1982年にマッケンローは12勝0敗を記録し、1993年にはM・スティッチが11勝をあげている。
(STATS - AP)
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