ベルギーのヘントで27日から始まった男子国別対抗戦デビスカップ決勝戦は、イギリスとベルギーによって争われているが、その日に行われたシングルスでは、両国のエースである
A・マレー(英国)と
D・ゴファン(ベルギー)が勝利を飾り、1勝1敗のタイで初日を終えた。
この日の第1シングルスでは、ゴファンが
K・エドモンド(英国)を3-6, 1-6, 6-2, 6-1, 6-0の逆転で下していた。続くシングルスでは世界ランク2位のマレーが
R・ベーメルマンス(ベルギー)を6-3, 6-2, 7-5で退け、クレーコートへの対応が出来ていることを証明していた。
「今日の試合は、全くもって予期していた展開だった。」とマレーは、初日の試合の結果について語っていた。
ベルギーはこの決勝戦で初優勝を狙っており、イギリスは79年ぶりの優勝を狙っている。
接戦となった第3セットで大声で暴言を吐き、主審から警告を受けたマレーは「ポイントの間がとてもうるさかったから警告が聞こえなかった。主審が自分の言ったことが聞こえていたことに驚いた。でも観客は一線を越えることはなかった。」と、微笑みながら語っていた。
ベーメルマンスは繊細なドロップ・ショットやウィナーを見せていたが、マレーの約倍となる33本ものイージーミスを犯し、それが勝敗を分けた。
エドモンドは第1、第2セットを先取し、ランキング的に上にいるゴファンから思い出に残る勝利を、デビスカップのデビュー戦で飾りかけていた。しかしゴファンは、20歳のエドモンドがミスを出し始めた所で更にステップアップしテニスの質を上げていった。
世界ランク16位のゴファンは、これまでのデビスカップのシングルス4試合では1セットも落とさず勝利を飾り、ベルギーの決勝進出の立役者となっていた。世界ランク100位のエドモンドは、この試合までデビスカップの舞台でコートに立つことがなかった。
エドモンドは「会場の雰囲気や状況に飲まれないように集中しようとだけ心がけていた。ただ毎日しているようなテニスをするように努めていた。何度も何度もボールを打っていた。これ以上のプレーは出来なかっただろう。」と試合を振り返った。
そして「第3セットでは、彼(ゴファン)は主導権を握ろうとし始めると、全てが徐々に崩れていってしまった。第4セットでは肉体的にかなりきつくなっていた。もちろん第5セットでもそうだったが、思うように体が続かなくなってしまったことにはかなり落胆させられてしまった。」と長い試合に体がついていかなかった事実を明かしていた。
「カイル(エドモンド)が信じられないようなプレーをして来たから、ちょっと不安になっていた。彼は失うものが何もない状態で向かってきた、素晴らしい試合をしていた。それでもきっとチャンスが来ると信じていた。若い時や、初めてのデビスカップの試合でこんな3セットを戦った時は、常にタフなのは知っていた。正直、いつもタフなもの。だから、冷静でいるようにしてチャンスを待っていた。」とゴファンは試合中の自分を分析していた。
28日はダブルスの試合が行われ、29日には勝敗をかけて、リバース・シングルスが行われる。
パリで起きた多発テロ事件を受けて、ベルギーは最高水準へ警戒レベルが引き上げられている中、この試合のセキュリティも強化されていた。ファンは会場へ入る時はボディチェックが義務付けられ、会場であるフランダース・エクスポ・ホールへのバッグなどの持ち込みも禁止されている。
しかし会場内は、盛大な盛り上がりを見せており、1万3,000人収容の会場は満席となっていた。イギリスの応援団も多く訪れており、その大勢のファンはスコットランド伝統衣装のキルトを身に付けていた。
ベルギーのフィリップ王とその王妃であるマチルド妃も会場に訪れていた。
ベルギーが最後に決勝戦の舞台に立ったのは1904年にまで遡り、その時はイギリスの前に敗れていた。これまで9度の優勝を誇るイギリスは、最後に決勝戦を戦ったのは1978年だった。
(STATS - AP)
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