テニスの全米オープン(アメリカ/ニューヨーク、ハード、グランドスラム)は、10日に行われた女子シングルス決勝戦で、第2シードの
A・ケルバー(ドイツ)が第10シードの
Ka・プリスコバ(チェコ共和国)を6-3, 4-6, 6-4のフルセットで下し、大会初優勝と四大大会2度目のタイトル獲得を果たした。
12日発表の世界ランキングで世界1位に上り詰めることが決まっていたケルバーは、決勝戦へ向けての選手紹介で「もうすぐ世界ランク1位になる」と紹介されていた。
「まだちょっと不思議な気分」と優勝を決めた直後、新女王になった気持ちをトロフィーと共に語った。
1月に行われた全豪オープン(オーストラリア/メルボルン、ハード、グランドスラム)で自身初の四大大会初優勝を飾ったケルバーは、この全米オープンで女王の称号に値する選手になったと実感し始めた。
2011年の全米オープンで世界ランク92位だったケルバーは、当時四大大会で3回戦の壁を超えたことがなかった。そのシーズンでは、5大会連続の初戦敗退を喫するなど、10大会で初戦で姿を消していた。それには、それまでの3回の四大大会も含まれている。
「あの時はただ自分に、何試合か勝てれば、来年の全豪オープンの本戦にストレートで入れるはずと言っていただけだった」と当時を振り返った。
「だんだん成長していった。そして、今はこうしてチャンピオンになっている」と満面の笑みで語った。
しかし、その後の5年間は順調と言えるものではなかった。2012年のウィンブルドン(イギリス/ロンドン、芝、グランドスラム)で2度目の準決勝進出を果たしたが、その後は今年の全豪オープンまで大きな活躍を見せることは出来ていなかった。
全豪オープンでの勝ち上がりも奇跡的なものだった。1回戦では、当時世界ランク64位の
土居美咲(日本)にマッチポイントを握られ、初戦敗退が目前だった。
「あれから今年の全てが始まった。あの試合は、本当に特別な試合だった」と土居との一戦を思い出していた。
そして決勝戦では
S・ウィリアムズ(アメリカ)を下し、四大大会初優勝を飾った。しかし、ケルバーは四大大会チャンピオンという立場を最初は上手く対処することが出来ずにいた。続いて臨んだ全仏オープン(フランス/パリ、クレー、グランドスラム)では、プレッシャーから世界ランク58位の
K・ベルテンス(オランダ)に初戦で敗れた。
「多くのプレッシャーを感じていた。その後は、大丈夫、これからは楽しもうと自分へ言い聞かせた。そして、誰もが言っていたように、どんな大会でも優勝出来るはずという期待やプレッシャーなしにコートへ向かえるようになった」と気持ちの変化を明かした。
その後のウィンブルドンでは再び決勝へ勝ち進んだが、セリーナにリベンジを許す結果となった。
先月のリオデジャネイロ・オリンピックでは決勝戦で
M・プイグ(プエルトリコ)に敗れ銀メダルに終わり、続くW&Sオープンの決勝戦では勝てば世界ランク1位が決まる試合だったが、プリスコバに敗れて準優勝。
迎えた全米オープンの2週間で、ケルバーはセリーナと入れ替わり世界ランク1位になる可能性への質問には耳を傾けることを避けて試合へ臨んでいた。
結果的にプリスコバが準決勝でセリーナを下したことで、ケルバーが12日発表の最新の世界ランクで1位に上り詰めることが決定していた。
10日に行われた決勝戦でケルバーは、今年の全豪オープンやウィンブルドンの決勝戦で経験したものとは違い、落ち着いた気持ちでコートへ向かっていた。決勝戦で勝とうが負けようが、1位になるという事実を認識することで自信が沸いてきており、試合にはただコートに立って戦うのみだという想いでぶつかっていったと説明。
ケルバーは、自身が10代の頃にグランドスラムで優勝したり世界ランク1位になるためには、大きな欠点があったと振り返った。
「フィットネスが最悪だった」と笑いながら答えていた。
フルセットの試合では、フェードアウトしていた。暑さにも耐えられず、コートで動くことも出来なくなっていた。
10日の決勝戦のケルバーからは、そんな姿は想像出来なかった。暑苦しく蒸し暑い中でのファイナルセットでは、どんなボールにも食らいつき、元気な姿を見せた。
「あれから10年の月日が流れ、フィットネスは最高になり、永遠にコートで走り回れるようになった」と今の成功の鍵を明かしていた。
(STATS - AP)
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