全日本選手権で7度の優勝(最多記録)を誇り、ブリヂストンスポーツ所属プロとして多方面で活躍されている福井烈氏がブリヂストンスポーツ本社にてtennis365.netの独占インタビューに応じた。
インタビューの最終回では全日本選手権、デビスカップについて話を聞いた。
【福井烈 独占インタビュー】
-Q.今年の全日本選手権についてどう思ったか?
今年スポンサーになって頂いた橋本総業の橋本社長とはテニスをする間柄です。大変感謝しています。簡単にスポンサーになって頂く事は難しいことです。テニスの大会を支えてくださる方々にはテニス協会の役員として心から感謝を申し上げないといけません。その方々への恩返しというのはいい大会であり、沢山の方が見に来てくれることです。
そのために選手は強くならなければならない、我々は選手が活躍できる環境を整えなければならない。急にはできませんが一つ一つクリアして行けば必ず素晴らしい大会になると思います。世界ばかり見ていると日本の大会が盛り上がらないので、両方に目を向けなければいけません。近い将来テニスのスポンサーになってくださる企業が増えてくれるような大会にならなければと思います。その為に選手、役員共に頑張らなければなりません。
-Q.現在のデビスカップについてどう思っているか?
とても躍動感があって、今年日本代表の活躍で幕をあけてベスト8に入って史上最高の成績をおさめて、日本テニスにとって起爆剤となったと思います。
たくさんのお客さんに見に来ていただいて、応援もいろんな方の協力で我々が現役の時では考えられないくらいの応援で、一体感のある盛り上がる応援でした。大きな日の丸を作ってくれたり。選手が強くなったことと周りのサポートのおかげです。
監督をしていた時からずっと応援してくれている方もいて、我々の時はなかなか勝てなかったのですが、選手、スタッフ、お客さんに感謝です。
団体戦は勝つと非常に盛り上がるので来年1回目はアウェーでのカナダ戦ですが、植田監督が同級生で昔からの知り合いなのでそういう意味でももっと上にいってもらいたいです。
-Q.90年代に監督を務めていたがもう一度やりたいか?
やりたいと思うか、やりたくないと思うかというとやりたいとは思いません。
もっと若い方がやって、我々はサポートをすればいいと思います。一回やらせていただいて大切な面と難しさ、やりがいを経験させていただきました。
ただ当時は現役を終えて勉強する間も無く監督になりました。昔はそんな感じだったので。今から考えると本当に勉強不足でした。今は勉強もしましたしライセンスも取り今があるわけです。当時は何もなく選手の兄貴分という感じで監督になり、今考えると恥ずかしいくらいの監督としての技量で選手にも迷惑をかけたと思います。もっと勉強して取り組まなければいけないと今は思います。しかし当時は一生懸命、本当に一生懸命しました。これ以上ないくらい時間的、能力的にしてきました。
でも今となるともっとできることはあったと思います。今はこれまでの経験を新しい指導者に伝えて若い指導者に挑戦してもらいたい。そのほうがいいと思います、いい意味でバックアップが出来ればと思います。もうじき60歳だからね。
《福井烈独占インタビュー①》《福井烈独占インタビュー②》《福井烈独占インタビュー③》福井烈・・・小学生の時にテニスを始め、インターハイ3連覇、アメリカ留学の後に中央大学に進み多くのタイトルを総なめにする。当時史上最年少の20歳で全日本選手権シングルス優勝し、その後3連覇を達成、史上最多7度の優勝を誇った。小柄な体格ながらも正確無比なストロークを武器に活躍した日本を代表するテニス選手。
92年から96年までデビスカップの監督も努め、現在はテニスの解説や日本テニス協会常務理事、JOC(日本オリンピック委員会)理事 選手強化本部 副本部長を務めている。
(取材協力:ブリヂストンスポーツ㈱)
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