1984年に武井実良氏によって日本で発案されたブラインドテニス(視覚障害者テニス)。
ラインドテニスがエドゥアルド・ラフェット氏によってアルゼンチンでも取り入れられた。
2人の女性に連れられてきた9歳のフェリペ・アンギョノが「ここはブラインドがテニスできるところですか?」と聞く。
「はい、そうです。」という声を聞いたフェリぺは「ここだ。私の居場所を見つけた。」と叫んだ。
「私は生まれながら目が見えません。しかし、これからテニスをやります。ベストを尽くします。」と言ったフェリペは
J・M・デル=ポトロ(アルゼンチン)をアイドルとしており、「デル=ポトロのようになりたい。」と話している。
フェリペと母のマリア・ローラとお祖母さんのメルセデスを含んで、20人ぐらいの人々がブラインドテニスの授業を受けている。7歳から60歳までの幅広い受講生の多くは週2回ぐらい練習している。
コートはバドミントン専用コートサイズで、ネットは低め、ラケットのヘッドは大きめに作られており、グリップは小さめに設定されている。全てのラインが足で感じられるようにするためにラインにはテープを貼っている。
ボールはスポンジで、中に盲人卓球用のボールが入っていて更にその中に金属球が入って音に反応できるようになっている。ブラインドテニスはサービスからリターンまで最大3回のバウンドが許されている。
「ボールの音が本当に好き。そして、相手がサービスを打つ時の叫び声も好き。」と続けた。
また、2006年から視覚が弱めてきた50歳のグスタボ・アロンソは、ブラインドテニスを最近になってから始めたという。
「1年半前に始めた時は、ただ遊び感覚でやっていました。ボールをミスしても気にしませんでした。だけど今は違います。モチベーションが高くて、いつも勝ちたいと思うようになって来ました。」とアロンソはコメントしている。
さらに、エドゥアルド・ラフェット氏ブラインドテニスについて研究したきっかけは視覚障害者の2人の娘を持つ女性が、彼女達はテニスすることが出来るのかと私に聞いたことだったという。
「ネットで調べていたら日本に見つけました。そして、連絡をとって全てが始まりました。」とラフェットが言い、アルゼンチンに日本発祥のブラインドテニスが始まった。
■関連記事■ ・フェデラー ワウリンカと和解・フェデラー デ杯欠場の可能性・錦織「中でもフェデラーが壁」・獲得賞金ランク 錦織は6位・ナダル 不満の声を上げる
■関連動画■ ・惜しまれつつ引退した元世界3位ダビデンコの功績!・最終戦出場が懸かった大一番で運命の”チャレンジ”!