9月30日から10月6日まで東京の有明で行われた楽天ジャパン・オープン大会期間中に、元世界1位の
M・ビランデル(スウェーデン)が日本のエースで前年度チャンピオン
錦織圭(日本)にインタビューを行った。23歳の錦織は、これまでのテニス人生や2020年の東京オリンピックについて語った。
ビランデル:あなたはまだ23歳ですが、日本のテニス史で最高の選手になりましたね。日本では野球やサッカーが人気と聞きましたが、どうしてテニスを選んだのですか?
錦織:両親が趣味でテニスをしていました。姉も一緒に公園などでテニスをしていたので、その影響で自分も始めました。
ビランデル:若い頃にアメリカへ移ってIMGアカデミーでテニスをしましたが、それはどうしてですか?日本では十分な施設がなかったとか?
錦織:自分が日本で住んでいたのは、とても小さな町でした。練習相手もあまりいませんでした。13歳でアメリカへ移り住んで、それはとても大きな変化でした。
ビランデル:世界でも有名なコーチのニック・ボロテリーのアカデミーですね。彼のマジックとも言える指導は?
錦織:彼は素晴らしいコーチです。10分や15分見ただけで、何が悪いかなど的確な指導をしてくれます。
ビランデル:彼のアカデミーでは
A・アガシ(アメリカ)がそのアカデミー出身者で最も有名な選手の1人です。あなたのプレーはアガシのプレーに似ていると感じているのですが、世界でも有数のアカデミーに通っている事は自信になりますか?それともプレッシャーですか?
錦織:プレッシャーを考えた事はありません。小さい頃からトップ選手達と練習が出来ました。他では経験出来ないような事です。15歳とか16歳の頃から
T・ハース(ドイツ)や
X・マリス(ベルギー)らトップ選手達と練習出来て、貴重な経験をしました。
ビランデル:あなたのプレースタイルは世界でも俊敏な選手の1人だと感じます。素晴らしいバックハンドも持っています。まだまだ成長出来ると感じますが、今後はどう改善させようと思ってますか?
錦織:まずはサーブです。自分は体格的には大きな選手ではないですが、スピードも上げたいですし、正確にコースをつけるようにしたいです。良いリターンを打っていると思いますが、リターンもより強化したいですね。あとは、安定感です。
ビランデル:大きな大会では
R・ナダル(スペイン)や
N・ジョコビッチ(セルビア)らのトップ選手と対戦しなければなりません。これまでも色んな選手を倒してますが、そんな選手達との対戦は自分にとっても良い事だと思ってますか?同時に対戦したくないとも思ってますか?
錦織:それはどちらも感じます。トップ選手達にチャレンジするのは楽しんでますが、もちろん簡単な事ではありません。1ポイント取るのも大変です。でも、そのような選手達との対戦は最高のチャレンジですし、モチベーションにもつながります。
ビランデル:これまでの日本テニス史での好成績は、1995年のウィンブルドンでの準々決勝で
松岡修造(日本)選手が
P・サンプラス(アメリカ)と対戦した事でしょう。昨年はこの楽天ジャパン・オープンで見事優勝し、決勝戦では
M・ラオニチ(カナダ)を下しました。あの勝利はあなたにとって、どのような影響を与えましたか?
錦織:信じられませんでした。祖国での優勝です。ずっと夢に見ていましたから。プレッシャーもありましたし、地元ファンの前でいつも良いプレーをしたと感じてました。T・ベルディフやラオニチを倒した事は、とても自信につながりました。
ビランデル:今はあなたが日本人男子の最高ランキングを記録しましたが、それまでは松岡修造選手でした。あなたにとってそれは、どんな意味がありますか?そして彼はあなたへどんな影響を与えましたか?
錦織:プロになって最初の目標が彼のランキングを超えて、世界のトップ45に入る事でした。彼の最高成績が46位だったので。それは本当に大きなチャレンジでした。子供の頃に彼のテニス・キャンプに行って、たくさんの事を学びました。国内だけではなく、世界に通じるような事です。彼が世界のトップへ導いてくれたのです。
ビランデル:テニス以外の事も聞きましょう。今は日本ではスターですが、日本に帰って来て有名過ぎて普通に歩いたり出来ますか?
錦織:以前よりは難しくなりました。でも、そのように感じられる人は少ないですから、それも楽しんでいます。
ビランデル:テニスをしている日本の若い人達の憧れの選手になりましたが、お手本にならなければと感じていますか?
錦織:お手本になれればと思います。サッカーと野球が日本では人気のスポーツなので、もっと多くの子供達がテニスを始めて欲しいです。
ビランデル:2011年に悲惨な大震災があって、福島での原発事故にもつながりました。それに対しても多くの働きかけをしてきましたね。それはテニス選手としてプレーするだけではなく、大切な役割で責任だと感じていますか?
錦織:本当に悲しい出来事でした。あの時はアメリカで大会に出場していました。何も出来ないと感じていたのですが、こう考えるようになったのです。テニスで良い成績を残してそれが良いニュースとして日本に伝われば、日本の皆さんのエネルギーになれたらと。そして、その後に被災地へ訪れて何か出来たらと思っていました。2年前には仙台へ訪れる事が出来て、それは本当に良い経験でした。
ビランデル:東京ではとても大切なイベントがありますね。2020年のオリンピックです。それは楽しみにしていますか?
錦織:もちろん楽しみです。その頃は30歳になっていますが、きっとまだプレーを続けているでしょう。そのオリンピックも経験してみたいですね。特に、震災の後でもありましたし、素晴らしいニュースでした。日本の人達にも大きなモチベーションになる事でしょう。
ビランデル:30歳でオリンピックに出場して、もしかしたら旗手として国旗を抱えている事が目標かもしれませんね。そしてメダルを獲得する事。
錦織:そうですね、メダルを獲りたいですね。オリンピックに出場するのは、ずっと夢でしたから。祖国でのオリンピックに出場する事を考えると興奮します。
ビランデル:私もそのオリンピックの時は東京へまた訪れたいと思います。今日は忙しいスケジュールの中、本当にありがとうございました。
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