テニスのウィンブルドン(イギリス/ロンドン、芝、グランドスラム)は大会6日目の2日、男子シングルス3回戦が行われ、年間グランドスラムを目指していた第1シードの
N・ジョコビッチ(セルビア)が第28シードで世界ランク41位の
S・クエリー(アメリカ)に6-7 (6-8), 1-6, 6-3, 6-7 (5-7)で敗れる波乱に見舞われた。
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ジョコビッチは、ウィンブルドンでここ2年間の優勝を含め、12度のグランドスラム優勝を飾っていた。一方のクエリーはというと、これまでグランドスラムでは4回戦の壁を越えたことがなかった。加えて、これまでの両者の対戦成績は8勝1敗とジョコビッチが大きくリードしていた。
ここウィンブルドンでの成績を比べてみても、両者の敗戦はこれまで8度と同じではあったが、勝利数は歴然と差が出ていた。ジョコビッチの54度に対し、クエリーはわずか9度だった。
これがウィンブルドン10勝目となった28歳のクエリー。史上最高のリターナーと呼ばれるジョコビッチ相手にクエリーは、実に31本のサービスエースを記録していた。
ジョコビッチは「彼はいつものように、素晴らしいサービスを放っていた。今日の試合では、それは明らかに彼のプレーを驚異的にさせたものだった。」とクエリーのプレーを称賛していた。
試合が順延と決まってから16時間後にコートへ戻ったジョコビッチは、グランドスラムでの勝利を続けるためには、そこから3セットを連取しなけらばならないことは分かっていた。
ジョコビッチのグランドスラムでの連勝記録は30で途切れた。
テニスというスポーツで、最も大切といえるグランドスラムでの30試合連続勝利はオープン化以降最も長いもので、テニス史上でも3番目に長い記録だった。1930年代にD・バッジが記録した37試合、1960年代にレーバーが記録した31試合に次ぐもの。
1968年のオープン化以降、ジョコビッチは第1シードで臨んだウィンブルドンで3回戦敗退を喫した2人目の選手となった。1人目は1992年の
J・クーリア(アメリカ)で、奇しくもその時のクーリアは、ジョコビッチと同じく年間グランドスラムがかかっていた時だった。
歴史を刻もうとしていたことが重荷となっていたかと問われたジョコビッチは「正直、それが重くのしかかっていたとは思わない。」と年間グランドスラム達成へのプレッシャーが敗戦の要因となったことを否定していた。
(STATS - AP)
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