テニスのグランドスラムであるウィンブルドン(イギリス/ロンドン、芝)で、1936年のフレッド・ペリー以来77年ぶりの地元優勝を飾った
A・マレー(英国)が、悲願の優勝には昨シーズンより自身の決断からコーチとして招き入れた元世界ランク1位の
I・レンドル(アメリカ)の力が大きな要因であると語っている。
2011年までに3度のグランドスラムで決勝の舞台に立ったものの、1セットも取る事が出来ずにタイトル獲得には届いていなかったマレーは、そのシーズンの終わりに新たなコーチを探していた。そして、自身がかけた電話の相手は、現役引退後18年間テニスシーンから遠ざかっていたレンドルだった。
「彼(レンドル)は、多くの人達がもう自分の事を信じてくれなくなっていたにも関わらず、ずっと信じ続けてくれたんだ。」と語るマレーは、1年前のウィンブルドンでも決勝進出。しかし、
R・フェデラー(スイス)に敗れてしまい、試合後のスピーチでは思わず涙を流し、抑えきれない敗戦の悔しさをあらわにしていた。
また、レンドルはグランドスラムで8度優勝をしているが、ウィンブルドンだけはタイトルを獲得する事が出来ず、1986・1987年で2度の準優勝となっていた。
「彼は、ずっとそばにいてくれたんだ。ここ数年の、苦しい敗戦を経験してきた僕にね。本当に辛抱強くいてくれた。なんとか、こうして彼のためにも優勝を達成出来て、本当に嬉しい。彼だってここで勝ちたかったと思うけど、こうして僕が優勝出来て、彼も自分の事のように喜んでくれているはずさ。」
昨年のウィンブルドンの決勝戦での敗戦は、マレーにとってグランドスラムで4度目の決勝戦での敗戦だった。奇しくも、これはレンドル自身が現役の時に初めてグランドスラム優勝を達成するまでに経験した決勝戦での敗戦と同じだった。
同じような経験を持つコーチの指導の下、マレーに転機が訪れたのは地元で開催されたロンドンオリンピックだった。会場がウィンブルドンと同じオール・イングランド・テニス・クラブで開催されたオリンピックのテニス競技では、再び決勝戦でフェデラーと対戦。その時、マレーはストレートで勝利を飾り、リベンジを果たして金メダルを獲得した。
そして、シーズン最後のグランドスラムである全米オープンで念願のグランドスラム初優勝、飛躍のシーズンとなった。
「これまで経験した以上のレッスンを学んだんだ。彼は自分が思っている事をそのまま伝えてくれる。テニスというスポーツでは、選手とコーチという関係を築く事が、いつも簡単に出来るものではないんだ。」
「選手次第の時もしばしば。でも彼は常に僕に対して、とても正直でいてくれた。激しい練習をすると喜んでくれたし、ちょっとさぼってしまうと落胆する。そして、そんな感情をいつも言葉にして伝えてくれたんだ。」
レンドルがコーチについた時、マレーはすでに技術的な武器を持ち、ツアーを戦うためのトレーニングも十分に行っている事を確信していた。マレーに必要な変化は、それまで試合中に思うようなプレーが出来なかったり、劣勢に立たされた時に冷静さを欠いてしまい精神的に荒れてしまうという部分だった。
それまでは「Mr. Desperate(ミスター自暴自棄)」や「Mr. Angry(ミスター激怒)」など言われていたマレーを、どうやって「Mr. Cool(ミスター冷静)」に変えるかという事だった。
そして、マレーは地元の期待を背に、1936年のフレッド・ペリー以来77年ぶりとなる悲願の地元優勝を果たす快挙を達成した。
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