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ウィンブルドンの歴史

ジョン・マッケンロー
John McEnroe

Getty Images
シングルス優勝:81, 83, 84
シングルス準優勝:80, 82
ダブルス優勝:79, 81, 83, 84, 92
ダブルス準優勝:78, 82
ジョン・マッケンローはウィンブルドンのシングルス・タイトルを3度獲得すると言う男子テニス史上に残る輝かしい功績を残しているが、彼は数字以上のものをウィンブルドンの歴史に刻んでいった。カリスマ性、タレント性、個性に満ちた言動、そしてショットにかける純粋な思いこそが、人々の記憶にいつまでも残るであろうマッケンローの遺産である。

彼の言動は決して規範的とは言えず、時には審判たちを始め多くの人々の顰蹙(ひんしゅく)を買うほどだった。これについては後にマッケンロー自身も、もし若い頃にもう少し挫折を味わっていれば、もっと自分をコントロールすることを学んでいたかもしれない、と行き過ぎていたことを認めている。
とは言え、世界トップを疾走するスポーツ選手には、何かしら動物的なものが潜んでいるものだ。多くの選手はなんとかそれを内に秘めるにとどめているが、マッケンローの場合は逆に動物的な側面を表に出して、さらにそれに火をつけ、それが人々の心を掴んだ。今でもそんなマッケンローを懐かしげに語るテニスファンも多い。

彼のプレイスタイルもまた見ものだった。素晴らしい、の一言に尽きるであろう。柔軟な手首と早い計算力から生まれる繊細さには、聴衆のみならず対戦相手ですら魅了された。また、芸のない多くの今日のパワー・プレイヤーとは比較にならないほどプレーの幅が広かった。
まさに鷹の目とも言えるような読みで、どんなサーブでもしっかり返して、しかも的確に決めることができた。

ウィンブルドン史上最も熾烈と言われた1980年の男子シングルス決勝で、マッケンローはボルグとの20分にも及ぶタイブレークを制して試合をフルセットに持ち込んだ。ファイナルセットは6-8で惜しくもタイトルを逃したが、翌年同じ顔ぶれで決勝を迎えたときは見事ボルグを倒し、初のウィンブルドン優勝を遂げた。
偉大なライバル関係とはいかなるスポーツをも盛り上げる重要な要素だが、テニスにおいてはマッケンロー対ボルグというライバル関係は、史上最大のものであったといっても過言ではない。それはあたかも火と氷の対決であった。

一戦を退いて以降のマッケンローは、テニスの解説活動でも、深い洞察力とユーモアとでシャープなコメントを発し、未だに強い存在感を持って活躍している。彼には「反逆児」のイメージが付きまとうが、同時に誰よりもウィンブルドンや、デビスカップ、そしてテニスの伝統を愛していたのも事実だ。また、テニスをしない人でさえマッケンローの名前は知っているように、テニスを超えて人々に広く知られたアスリートでもあった。

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