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ウィンブルドンの歴史

ビリー=ジーン・キング
Billie Jean King

Getty Images
シングルス優勝:66, 67, 68, 72, 73, 75
シングルス準優勝:63, 69, 70
ダブルス優勝:61, 62, 65, 67, 68, 70, 71, 72, 73, 79
ダブルス準優勝:64, 76
混ダブルス優勝:67, 71, 73, 74
混ダブルス準優勝:66, 78, 83
ビリー=ジーン・キングは、しばしば「ウィンブルドン史上最もダイナミックでかつ最多の勝利を得た選手」と称される。これはもちろん事実であるが、カリフォルニアの消防士から生まれたこの一女がテニス界にもたらしたのは、それだけではない。他のどんな誰よりもテニスの発展に貢献した女性だと言っても過言ではない。

キングはウィンブルドンには1961年から79年までの間に、マルチナ・ナブラチロワと同数の合計20個のタイトル獲得(シングルス6個、女子ダブルス10個、混合ダブルス4個)の記録を保持している。
中でも66年から75年までの10年間の彼女のウィンブルドンでの圧倒振りは目を見張る。その間8度決勝進出し、6度優勝している。決勝では、イボンヌ・グーラゴン(72年と75年)、マリア・ブエノ(66年)、アン・ジョーンズ(67年)、ジュディ・テガート(68年)、クリス・エバート(73年)を下しての優勝。一方、敗れたのは、69年の対ジョーンズ戦と、翌70年の対コート戦(14-12, 11-9という史上最もゲーム数が多かった決勝)でだ。
また、女子ダブルスでも合計38回も決勝進出している。79年にはナブラチロワとペアを組んで優勝、それがダブルスで20個目の優勝で、エリザベス・ライアンが1914年から34年の間に獲得した19個のダブルス優勝の記録を塗り替えた。

彼女が最後にウィンブルドンに出場したのは1983年、39歳のときだった。そのときは準決勝まで進出したものの、ティーンエージャーのアンドレア・イエガーに1-6, 1-6という惨敗を喫してしまった。後ろ髪を引かれながらセンターコートを去るキングの「これがお別れね」と言わんばかりの有名な写真は、この時撮られた。
この「お別れ」までの22年間、彼女のウィンブルドンでの戦績は224勝41敗と圧倒的な記録を残している。(シングルス95勝、女子ダブルス74勝、混合ダブルス55勝) 67年と73年には、シングルス、女子ダブルス、混合ダブルスの3冠という偉業も達成している。4大大会の全てで優勝し、合計で39のグランドスラム・タイトルを有する。
キングは83年末をもってシングルスからは退き、その後90年まで時々ダブルスに参加した以降は完全引退した。

カリフォルニアのハードコートで培われたキングの攻撃的なテニスは、サーブ&ボレーなど当時の女子テニスに新風を巻き起こした。
また彼女は、1973年9月にヒューストンのアストロドームで、「世紀の男女対決(“Battle of the Sexes”)」と言われた試合をボビー・リッグズ(1939年ウィンブルドン・シングルス優勝)と行い、全世界に話題を振りまいた。キングはマッチョマン4人に担がれた椅子に乗ってクレオパトラのように入場、一方のリッグズもバーバレラを思わせる女性モデルに人力車を引かれての入場と、お祭り気分満載のイベントだった。すでに55歳であったリッグズに対してキングはストレート勝ちしたが、このイベントは世界9千万人がTV観戦、おりしもアメリカでテニスブーム勃興期にあたり、その2~3年後にはアメリカでのテニス人口が3200万人にも及んだ。

引退後も彼女はフェドカップ・キャプテンや解説者として広く活躍、現在もテニスの発展に大きく貢献しており、広くそして深く尊敬され続けている。
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