赤みがかった髪が特徴的だったオーストラリア生まれのロッド・レーバーは、1956年、17歳の歳にウィンブルドン・デビューを果たした。その時は1回戦でストレート負けするに終わったが、ウィンブルドン最後の年となった71年までの間に4度の優勝と2度の準優勝を上げた。
また、62年と69年には年間グランドスラムを2度達成するという偉業を成し遂げた。しかし不運だったのは、24歳でプロに転向したため、以降5年間はグランドスラムを始めツアーに出場ができなかったことだ。20代後半というテニス選手として最も充実できる時期が空白となってしまったわけだが、もしそうでなかったら… ただ、いずれにせよ、レーバーの樹立した偉業が不動のものであることに違いはない。
彼が制覇したグランドスラムは、クレーの全仏オープン以外は、ウィンブルドン、USオープン、全豪オープンともに芝だった。しかし、USオープンと全豪オープンは以降ハードコートに変わったが、そこでも十分に勝てるだけの選手であったことは間違いない。
レーバーがウィンブルドンを最初に制したのは61年。前半はフルセットの対戦が2度あるなど苦戦したが、決勝の対チャック・マッキンレー戦では1時間足らずの試合で完勝した。
翌年は、それに先立つイタリア、全仏、ドイツのタイトルを連取し、ウィンブルドンにも最有力優勝候補として出場。準々決勝以外は全てストレート勝ちという圧倒ぶりで、見事タイトル防衛に成功した。
その年、レーバーはプロ転向した。年間契約金は5万ポンドだった。