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試合中に怒り狂い、大声を上げながらラケットを叩きつける姿が愛された元王者のM・サフィン(ロシア)。グランドスラム通算2勝、そしてデビスカップでの優勝という輝かしい実績を残したサフィンが、その12年のキャリアに幕を下ろした。
現在開催中のBNPパリバ・マスターズ3回戦、第5シードのJ・M・デル=ポトロ(アルゼンチン)と対戦したサフィンは、この試合に4-6, 7-5, 4-6のフルセットで敗退、プロ選手としての最後の大会を終えた。
「多くの人は僕がハードワーカーじゃないと思っているけど、僕がどれだけテニスに打ち込んでいたかコーチ達に聞いてみるといい。彼らは皆が思っていることと、全く反対のことを言うだろう。」
現在29歳のサフィンが初めて見出しを飾ったのは、1998年の全仏オープンでA・アガシ(アメリカ)、G・クエルテン(ブラジル)らを破り4回戦に進出したときだった。その1年後に初のATPタイトルを手に入れたサフィンは、2000年のUSオープン決勝でP・サンプラス(アメリカ)を決勝で破り、初のグランドスラム制覇を成し遂げていた。
2000年11月に世界ランク1位の座を射止めたサフィンであったが、その後は怪我や長い間トップにいることの弊害が彼を苦しめた。2005年の全豪オープンで2度目のグランドスラム優勝を果たすまで、2度のメジャー決勝に進出していたサフィンだが、いずれもそのチャンスを逃していた。
「24-7には本当に辟易していた。これこそ僕が嫌いなもの。多すぎだね。脳みそが休まる暇もないんだよ。一度トップ10になって150位まで落ちることもできるし、そこからカムバックするのは困難だ。とても大変な生活だよ。」
キャリアを振り返ったサフィンは、2つの敗戦の結果だけは変えたいと思っているようだ。「全仏オープン準決勝のJ・C・フェレーロ(スペイン)戦と、全豪オープン決勝のT・ヨハンソン(スウェーデン)戦」と語ったサフィン。この2つの敗戦は、いずれも2002年に経験したもの。
この年にサフィンは、22歳の誕生日にヨハンソンに敗れる苦い思い出がある。しかし、パリで行われたデビスカップ決勝で母国の勝利に貢献し、ロシアに世界一の座をもたらしてもいた。
パリについてサフィンは「ここは僕にとって始まりと終わりの場所。ここよりも引退にふさわしい場所が見つけられなかった。フランスのファンは本当に素晴らしいし、完璧にテニスを理解しています。」と現地のファンに賞賛を述べた。
このパリで行われるマスターズで通算3勝を挙げているサフィンであるが、2005年の全豪オープン以来タイトルからは遠ざかっており、サンクトペテルブルク大会での準決勝進出が今季の最高成績となっている。
試合後のセレモニーでサフィンは「全ての思い出や、勝利も敗戦も小さな箱にしまいたいと思います。今日でドアは閉じましたが、また違うドアが開くことを祈っています。」と大会から贈られたトロフィーを手に語ったサフィン。そのトロフィーには、鍵が埋め込まれていた。
引退セレモニーでは、M・ロセ、Y・エル・アイナウイ(モロッコ)、A・コスタ(スペイン)らサフィンと親交のある何人かの選手がコート上に登場した。
「ユーネスやマルク、そしてアルベルトにここで会えるなんて本当に特別な感覚だ。僕らは一緒に楽しんでいた仲なんだ。彼らがさよならを言いに来てくれる事は、たくさんの意味があるよ。」
歯に衣着せぬ発言をすることでも知られるサフィンは、セレモニーに登場した何人かの選手についてもコメントした。
「もちろん、コートに来てくれた皆に会えたことは素晴らしいことだよ。だけど、ATPがそれを強制してなければいいんだけど。なぜなら、僕が予想していない人もいるからね。」
現役最後となった試合でサフィンは、ベースラインからのウィナーやネット際での繊細なタッチ、そして強烈なファーストサーブなどを余すとこなくパリの観客に披露した一方で、無茶苦茶な凡ミスやラケットを投げ捨てたりもした。
マッチポイントが決まり、デル=ポトロがサフィンとネットは挟んで抱き合っている間、パリの観客はスタンディング・オベーションを贈り続けていた。
気になる今後の計画についてサフィンは「スポーツマンはスポーツマンでいる間は素晴らしい。その後は、少し大変だと思うよ。テニス選手から何かになるのは難しいことさ。さらに時間が経ちすぎると、ただの元テニス選手になってしまう。」と、いまだ不透明な自分の未来について語った。
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