ウィンブルドンの興奮を、東京でも一緒に味わえるイベントが2006年に続き2007年も開催。AIGオープン会場へGO!。
ウィンブルドンの歴史

1968年
オープン化後初大会
The First Professional Wimbledon

1968年のウィンブルドン初のオープン化大会直前は蒸し暑かった。これはよくない徴候だった。というのも、このような蒸し暑さの後にはほぼ間違いなく雨天が続くからだ。予想は見事に当たり、第1週目は大会史上もっとも雨に見舞われた年となった。

ウィンブルドンは常にオープン化への原動力の中心だった。1967年末、ローンテニス協会は全面的なオープン化を決議しており、人々の期待が次第に高まる中、オープン化以降初となるウィンブルドンが開幕した。
プロ転向したため、ウィンブルドン出場ができないでいた選手も久しぶりに再登場することになった。それらの中には、5年ぶりにプロとして登場したロッド・レーバー、1949年以来の出場となったパンチョ・ゴンザレス、パンチョ・セグラ、ルー・ホード、アンドレス・ヒメーノ、ブッチ・バックホルツ、そしてもちろん1954年と1956年のシングルスで決勝まで進んだケン・ローズウェルらの名選手たちがいた。

この記念すべき年に第1シードとなったのは1961年と62年に連覇を達成したレーバー。ローズウォールが第2シード、スペイン出身のヒメーノが第3シード、そしてディフェンディング・チャンピオンのジョン・ニューコムが第4シードとなった。ニューコムは前年優勝後プロに転向したが、オープン化に伴い、連覇に挑戦することができた。

これらシード選手たちが次々と姿を消す中、決勝はレーバーと第15シードのトニー・ローシュの豪州勢同士の戦いとなった。しかし、後にウィンブルドンでシングルスに優勝、ダブルスでもニューコムと組んで大活躍することとなるローシュも、まだこのときは経験も知名度もなく、レーバーという大物を前にして撃沈。オープン化後初のウィンブルドンは、レーバーの6-3, 6-4, 6-2のストレート勝ちで幕を閉じた。

女子シングルスでは、アメリカのビリー・ジーン・キングが3年連続の優勝を飾った。シードの順位からすると、キングはオーストラリア出身でキング同様ウィンブルドン覇者のマーガレット・コートと対戦する予定であったが、コートが準々決勝で同胞のジュディ・テガートに敗れ、決勝はキング対テガートとなった。準決勝でキングはイギリスの左利きアン・ジョーンズを、テガートはアメリカのナンシー・リチイ=ガンターをそれぞれ下しての決勝進出だった。結局キングが9-7, 7-5で勝利、優勝賞金750ポンドを獲得した。

その他、男子ダブルスではジョン・ニューコム/トニー・ローシュ組、女子ダブルスではロージー・カザルス/ビリー・ジーン・キング組、混合ダブルスではケン・フレッチャー/マーガレット・コート組がそれぞれ優勝した。

1968年は別の意味でも歴史的な年だった。ウィンブルドンに先立ち開催された全仏オープンでは、大会の最中に市民暴動が起き、パリを初めとする諸都市で交通機関と公共サービス機能が停止し、またフランスに出入りする飛行機が実質上ストップした。しかし、こうした背景にも関わらず全仏オープンは大成功に終わり、多くの観客がローラン・ギャロスのスタジアムを訪れた。選手たちも全て会場に姿を見せ、まさに”Show must go on”(ショーを止めるわけには行かない)を具現するかのようだった。
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