全日本テニス選手権への出場を目標に掲げて選手活動を行いながら、その活動記録を中心に配信するYouTubeチャンネル「非力テニス 翔吾Tennis Channel」を運営する佐藤翔吾(Smile Tennis College所属)。
現在34歳、北海道出身の佐藤は高校〜大学時代を通じて全国大会への出場経験はないものの、昨年から綿貫祐介の師事を仰ぎ、精力的に国内大会に出場して試合経験とポイントを積み重ね、11月8日付のJTA日本ランキングでは128位に位置している。
高校からテニスを始め、決してジュニア時代に輝かしい実績があるわけではなく、また身長160cmとテニスプレーヤーとして恵まれた体格ではない佐藤が、選手活動にこだわり、そしてYouTubeで積極的に配信を行うようになった理由、そしてこれから目指す道に迫った。
【佐藤翔吾インタビュー】
Q1.YouTubeチャンネル名の由来は?
〜身長160cmでも勝つ姿を見せたい〜佐藤)YouTubeで「非力テニス 翔吾Tennis Channel」を運営しています。チャンネル名の由来は、自分が身長160cm、体重46kgと、中学生のような体格だからです。体格の小ささは弱みだけど、そこを強みに変えられれば注目を集められるんじゃないかと思い。
そして、パワーや体格面以外のことで、ポイントを取って試合に勝っていく姿を見せたいなと。
Q2.テニスとの出会いは?
〜テニスの原点はコリア〜佐藤)小中学校の時は剣道をやっていました。ただ大きな怪我で1年間剣道ができなくなり、その間に周りと差が広がって挫折しました。剣道をやめました。
その頃にテレビのCS放送でモンテカルロ・マスターズ(モナコ/モンテカルロ、レッドクレー、ATP1000)の
R・ナダル(スペイン)対
G・コリア(アルゼンチン)の試合を見てテニスに興味を持って、次の日にはテニススクールの体験レッスンに申し込んでいました。
今、自分がドロップショットをよく使っていたり、頭を使うテニスをしようとしているのもコリアの影響です。僕のテニスの原点はコリアです。
Q3.高校時代について
〜自らテニス部を創部〜佐藤)高校に男子テニス部が無くて、友人を4人集めて創部しました。でも正しい打ち方とかルールとかが分からなかったので、近所のテニススクールにも週1回通っていました。
高校3年間で1回戦を勝ち抜いたことは、1回か2回しかないと思います。一生懸命、練習はしていましたが。当時のコーチとは今でも仲が良くて、「お前は本当に才能がなかったけど、モチベーションの(常に高い)才能はあった」と言われます。全部に対して全力で取り組んでいたけど、目の前に集中し過ぎて冷静さを欠く点がありました。
他のテニス強豪校の練習と比べたら少なかったかもしれないですが、自分なりには一生懸命練習に励んでいました。
Q4.大学時代について
〜インカレに出られたらテニスをやめる予定だった〜佐藤)大学生活では、ほとんど練習しかしていなかったです。コートは2面でしたが、ナイターも使えたのでたくさん練習ができました。
でも入学時に強かった4年生が引退してから、部活のレベルが低くなったので、他の大学の練習にも参加していました。
大学に入ってからは試合で勝てるようになりました。その理由は、誰かに「ロブを上げ続けていれば勝てるよ」って言われて。正直、プレーをしていて全く面白くないんですけど、あまりにもそれで勝てるから味をしめてしまい、テニスの成長は止まりました。
その時のプレースタイルは、ひたすら相手のバック側にロブを打って、相手が前に来た時にパッシングを打つ。脚力と体力には自信があったので、その戦法で勝っていました。ただ、そのプレーをしていても高いレベルの選手には、全く勝てなかったです。
大学時代の最高の戦績は北海道でベスト16です。最後の年にインカレに行きたいと思って頑張っていましたが、出場がかかった試合で右脚の靭帯を切ってしまい、そこで大学テニスは終了しました。
大学でインカレに出られたらテニスをやめる予定だったんですけど、悔いの残る感じになってしまって。そこから目標を立てるのだったら、大きい方が良いと思い、「全日本出場」を目指したいと思いました。それには、北海道だと日本ランキングのポイントを取れる大会が少ないため、神奈川県に引っ越しました。
引越し後はテニスコーチをしようと思っていました。テニスコーチとして大事なことは技術を教える能力と、接客力が大事だと思っていましたが、僕はもともと人前で話すのが苦手で好きじゃなかったんです。
そこで引越す前に半年間、大学を休学して居酒屋やカラオケ店などの接客業を経験して、人前に話せるようになりました。
Q5.YouTubeを始めたキッカケは?
〜いつの間にか再生回数が伸びた〜大学を卒業して神奈川に移ってからは、幾つかのテニススクールでコーチをしながら、時々大会にも出場してきました。
Youtubeを始めたキッカケは、2018年に横浜市民大会に出場した時のことです。当時はスマートフォンの空き容量を確保するために、自分の試合を撮影した動画をYouTubeにアップしていました。それで放っておいたら、いつの間にか再生回数が伸びていて。それで、これはいけるんじゃないかと思いました。
最初の頃は登録者が増えるのにも時間がかかりましたし、再生回数も大したことなかったです。自分が映像を観られればいい、という気持ちで動画をアップしていって、ちゃんとやり始めたのは去年ぐらいからです。
Q6.綿貫祐介プロに師事、プレーの変化は?
〜負けられない〜綿貫プロのYouTubeチャンネルの動画編集を手伝っている知人の紹介で、コラボをさせてもらったことがキッカケです。実際にお会いして、実績はもちろん、教え方がうまくて、綿貫プロの人間性に惹かれてコーチをお願いしました。
変化したことは、ストロークで厚い当たりをするようになり、打ち負けなくなったことです。自分から攻められるようになったことが成長です。また精神的にも、綿貫プロに教えてもらっていることで、負けられないという気持ちが強くなり、一つ一つの行動に緊張感が出て、一層自分を追い込めるようになりました。
また、以前は対戦相手によってプレースタイルが変わり、自分のテニスが無くなることが僕の弱みでした。それが、自分がやりたいことをやって勝てることが増えましたし、それが通用しない時の解決策の引き出しが、今まで1つだったのが、2つ3つに増えました。
以前なら第1セットで通用しなかったらそのままストレート負けでしたが、今は第2セットで戦術を切り替えられるようになりました。
Q7.今後の取り組みや目標は?
〜体力、技術、経済面、そして全日本〜佐藤)直近では、トレーナーをつけてフィジカルを上げていくことを大事にしたいです。今までストロークの当たりが薄かったので、強い選手と対戦したときは、ウォームアップのラリーの時点で打ち負けていました。ストロークの質をあげたいです。
あとはサーブの改善です。フォームがダサいのと、、、サーブの威力を上げたいです。
中期的には、選手活動にもっと集中できるように、経済面を改善したいです。テニスの時間を増やしたい。今はテニスコーチをさせていただき、レッスンでお金を頂いて、それを元手に試合に出場していますが、理想としては仕事の時間をもっと減らして自分の練習の時間に割きたいです。
海外に挑戦することを考えると、滞在費だけでも大きな金額がかかります。テニスの時間にフォーカスして、自分のテニスに集中できる環境を作りたいと思います。
僕は自分のことを低く見積もって計画を練るタイプです。今掲げている目標は、全日本選手権の予選に出場することです。
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