テニスのグランドスラムである全米オープン(アメリカ/ニューヨーク、ハード)は大会初日の31日、男子シングルス1回戦が行われ、今大会を最後に現役生活にピリオドを打つ
M・フィッシュ(アメリカ)がM・チェッキナトを6-7 (5-7), 6-3, 6-1, 6-3の逆転で下した。
>>全米オープン対戦表<<試合後フィッシュは、試合中「きっと自分は大丈夫。全て大丈夫。みんなもきっと大丈夫さ。」と心の中で思いながら戦っていたことを明かしていた。
フィッシュは極度の不安障害を投薬治療や心理療法などで戦ってきた。それは彼のテニス人生さえ脅かすものだった。今年の夏に復帰したフィッシュは、引退へ向けて最後のツアーを行っていた。そして、彼が公言した最後の舞台で大会会場であるフラッシング・メドーを訪れ、この日試合に臨んでいた。
「自分の中で色々語りかけていた。」とフィッシュは、試合中の気持ちを明かした。「これまでのさまざまな経験やエピソードや苦しみ、そしてここまで行ってきた多くの治療や激しい練習などから学んできたものから出ていた。3年前、あれは本当に辛かった。そこから長い日々だった。」
「この試合が最後の試合だと、勝つまで思って戦っていた。次の試合が最後かも知れない。」そう語るフィッシュは、2回戦で第18シードの
F・ロペス(スペイン)と対戦する。
2012年9月の全米オープン、フィッシュは4回戦で
R・フェデラー(スイス)との試合を前に棄権を強いられた。それは激しい発作からだった。自己最高位の世界ランク7位を記録し、グランドスラムでも3度のベスト8入りをしているフィッシュは、それ以降ツアー離脱を余儀なくされた。
「またこうしてここへ戻って来れてとても嬉しく思う。」と、33歳のフィッシュは2時間52分でチェッキナトを下した直後のオンコート・インタビューで語った。
その試合は、もっと早く終われたかも知れなかった。第1セットをゲームカウント5ー4とリードしたフィッシュは、続く自身のサービスでも30ー0とリードしていた。しかしそこからミスを連発してしまったフィッシュは、そのゲームをブレークされると、そのセットをタイブレークの末にチェッキナトに先取されてしまった。
「全てを受け入れて、この大会の全てを楽しみたいと思う。本当に素晴らしいから。でも時には難しくもなる。つまり、3時間に及ぶ試合をしていなかったんだ。2012年以来ね。練習でも3時間もボールを打っていなかった。時計を見たときは、ちょっと心配になったよ。“こんなに長く耐えられるか”ってね。それが悪循環になって雪だるまのように膨れ上がって、また発作に繋がるんじゃないかってね。」とフィッシュは素直な心境を語っていた。
しかしフィッシュは、そんな不安を何とか払拭し、チェッキナトを退けた。これでチェッキナトは、ツアーレベルの試合では0勝7敗となってしまった。
「勝ちきることが出来た。良いプレーをしていたのは分かっていた。ただ試合が経過して行くだけの問題だった。体は持ちこたえられるか?自分自身も大丈夫か?とかね。こんな状況の中で、ここにいる選手達は全く心配することのないようなことなど、自分はたくさんのことが心配だったんだ。」とフィッシュは辛い胸のうちを明かしていた。
2000年にプロになったフィッシュは、シングルスで6度、ダブルスでも8度のツアー優勝を飾り、2004年のアテネ五輪では銀メダルを獲得していた。そしてそれは2012年3月に突然襲ってきた。深夜フィッシュは、激しい鼓動に襲われたのだった。その後6月に復帰したフィッシュは、その年の全米オープンでの悪夢の日までツアーを続けていた。
2013年は10試合を戦ったフィッシュ。そしてそれから約1年半の間、ツアーから離れることとなった。
フィッシュはこの精神的な病を公で語るには2つの理由があると言う。1つは自分自身のため。もう1つは、同じような病に悩んでいる人達のためだと言う。
「レベルはさまざまだが、ロッカールームにも似たような問題を抱えている選手が数多くいる。ある男子選手や女子選手と、プライベートで話をしたことがある。彼等はカメラなどがある所でその話をするのは、気持ちの良いものとは感じてはいないと思う。」と、心の病を抱えた人の気持ちを語っていた。
(STATS - AP)
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