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テニスのグランドスラムであるウィンブルドン(イギリス/ロンドン、芝)で、28歳にして自身初のグランドスラム優勝を飾ったM・バルトリ(フランス)。しかし、バルトリはそのわずか40日後のW&Sオープン女子2回戦敗退後の記者会見で突然の引退表明、テニス人生に幕を降ろした。
医師である父の教えのからテニスを始めたバルトリは、2002年にはジュニアランキングで2位になりプロの道へ。翌2003年には世界ランキングでトップ100入り、2004年にはトップ50入りと順調にランキングも上げていった。
2006年には開幕戦でツアー初優勝を飾ると、その年は3大会で優勝してトップ20入り。2007年にはウィンブルドンで自身初のグランドスラムの決勝の舞台に立ち準優勝を飾ると、その年の8月に初のトップ10入りに成功した。
その後も安定してトップ15を維持していたバルトリは、2012年1月に自己最高位の世界ランク7位を記録するなど、世界の舞台で活躍を続けていた。
プロになってからもツアーのほとんどを父であるコーチのウォルター氏とともに転戦していたバルトリは、ウォルター氏が手作りの器具を用いて練習をしたり、試合のない日には1日中コートに立って練習するなど、常に練習に明け暮れる選手でもあった。
今季は準々決勝の壁を突破出来ず、特に好調なシーズンを送っていたわけではなかった。そんなバルトリが爆発したのが、かつて準優勝を飾ったウィンブルドンだった。
世界ランク15位で臨んだウィンブルドンでバルトリは、準々決勝ではS・スティーブンス(アメリカ)、準決勝ではK・フリッペンス(ベルギー)を下し、自身2度目の決勝の舞台へと勝ち進んだ。
決勝戦では、同大会優勝候補筆頭だったS・ウィリアムズ(アメリカ)を4回戦で下す大金星をあげて勝ち上がってきたS・リシキ(ドイツ)と顔を合わせた。
その勝ち上がりからリシキ優勢との見方が多かった中、グランドスラム初となる決勝戦のリシキに対して、過去の経験を活かしたバルトリが終止試合の主導権を握り、6-1, 6-4のストレートで勝利、念願のウィンブルドンタイトルを手中に収めた。
しかし、アメリカのハードコートシーズンで2大会を右太腿の怪我で欠場。その後出場したトロント大会も2試合目を腹筋の怪我で途中棄権を強いられてしまった。
翌週行われたシンシナティ大会では、初戦となった2回戦でフルセットの逆転負け。そして、その試合後の記者会見で、突然の引退表明となった。
念願のウィンブルドンの優勝は限界ぎりぎりの状態で戦っていた事を明らかにし、満身創痍の果ての優勝で、もう体が限界を超えていると引退の理由を語っていた。
「もう自分の体がこれ以上続けられなくなった。今年の初めから多くの怪我に泣かされていた。長い間ツアーにいて、ずっと戦い続けてきたし、ウィンブルドン期間中はずっと全力を尽くしていた。」
「45分とか1時間とか試合をしていると、あちこちに痛みを感じてしまう。こんな状態がもう長い間続いていて、肉体的にもう出来なくなってしまった。」と、辛かった胸の内を明かし、惜しまれながらテニス界から去っていった。
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(記事/弓削忠則)
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