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テニスのグランドスラム、全仏オープンで2009年と2010年の2年連続で準優勝に輝き、2010年11月には世界ランク4位にまで上り詰めたR・ソデルリング(スウェーデン)は、長引く体調不良から未だに復帰の目処が立っていない状況が続いている。
2009年の全仏オープンで当時世界ランク25位だったソデルリングは、同大会では負けなしの強さを誇り、クレー・キングと呼ばれた当時同1位のR・ナダル(スペイン)を4回戦で下す大金星をあげた。ソデルリングは全仏オープンでナダルに勝利した唯一の選手でもある。
その後もF・ゴンサレス(チリ)やN・ダビデンコ(ロシア)を下し決勝の舞台へ。決勝ではR・フェデラー(スイス)に敗れはしたものの、堂々の準優勝を果たし世界のトップ選手の仲間入りを果たした。
そんな彼が最後にコートに立ったのは2011年のウィンブルドン直後の祖国スウェーデンのバスタード大会で優勝を飾った時。当時世界ランク5位で臨んだウィンブルドンでは、3回戦でその時18歳で予選から勝ち上がったオーストラリア期待の新星B・トミック(オーストラリア)にストレートで敗れる波乱に見舞われていた。
それまでのソデルリングは常にトップ5を維持し、今でも続く男子4強時代の4選手(N・ジョコビッチ(セルビア)、フェデラー、A・マレー(英国)、ナダル)に迫る勢いをみせるほどの選手だった。
2011年の夏を振り返りソデルリングはESPNのインタビューにこう答えている。
「あの時のウィンブルドンは最悪だった。朝は吐き気で目が覚めて嘔吐してしまった。そして熱もあった。試合なんてできる状態じゃなかったけど、テニスの聖地ウィンブルドンだったんだ。コートに立ちたいと思うさ。そして、それが人生を終わらせることになってしまった。本当に疲労を感じていたけど、それをみないふりをして頑張り過ぎてしまったんだ。」
ウィンブルドンでトミックに敗れてから約2週間後には祖国スウェーデンで、2002年から出場を続けているバスタード大会のコートに立ち見事優勝するも、その時は「更に体調は悪化していた」と語るソデルリング。その後に受けた診察の結果、伝染性単核球症と診断され、以降ツアー離脱を余儀なくされてしまった。
現在28歳のソデルリングは「希望が見えてまた消えて、そして希望がまた見えたと思ったら消え去ってしまう・・・そんなことの繰り返しでどれ程苦しんだか。とても体調が良くなって練習を再開して数ヶ月で復帰しようと思って練習量を増やした矢先、朝起きるとまた具合が悪くなっているんだ。」と、この1年半の状態を明かした。
「数ヶ月前には、これまでで一番良い状態で過ごすことができていたんだ。だから、来シーズンは復帰できるはずと希望に満ちていた。すると、また再発して悪くなってしまった。全体的には良くはなっている。明日にでも絶対復帰しようとは思っていない。もちろん復帰できるようにチャレンジは続けるけど、それが不可能なのではという想いも無い訳ではない。何が起ころうとも、ベストを尽くすまでさ。」
そして、今年の春にアメリカのカリフォルニア州で受けた検査では、甲状腺異常が見つかり、それも彼が感じた大きな疲労の原因になっていると診断された。
2001年9月にプロデビューを果たしたソデルリングは、順調にランキングを伸ばし2003年8月に初のトップ100入り。世界ランク60位でそのシーズンを終えると、翌2004年3月にトップ50デビューを果たして同年10月にATPツアー初優勝を飾ったものの、その後はなかなかトップ30の壁を越えることができなかった。
2008年のシーズン終盤で着実に実力を付けてトップ20入りに成功すると、その後はその実力が本物だと証明する活躍をみせ、2009年10月にトップ10入りを果たし、2010年のウィンブルドンで準々決勝進出するとトップ5入り。同年最後のフランスはパリ大会でマスターズ1000大会初優勝を飾り自己最高位の4位へ上り詰め、その後はツアー離脱するまでトップ5を維持していた。
ソデルリングは先月、長年交際を続けているジェニー・モストロムさんとの間に第一子となるオリビアという女の子が生まれたばかり。そのことも彼の気持ちを和ませてくれている。
「自分のことを第一に考えない生活なんて初めての経験なんだ。不思議な気分さ。これまではテニス、トレーニング、成績しか頭になかったからね。もしかしたら18歳とか20歳でこの病気になっていたかも知れないと思うと、自分は27歳だった。病気になる前に既に最高のテニス人生を送ることはできたんだと前向きに考えられるようにもなった。」と、ふさぎ込むばかりではなく、状況を明るく捉えることができるようになったとコメント。
子育てと同時に治療に勤しんでいるソデルリングは「まだテニス選手としてのキャリアを終えたくはない。あと5年は残されていると感じているんだ。」と、復帰への意思は消え去ってはいない。
(翻訳/弓削忠則)
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