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女子テニスの元世界ランク1位で、今年の全米オープンを最後に引退したK・クレイステルス(ベルギー)が、祖国ベルギーのアントワープ・スポーツ・パレスで『キムズ・サンキュー・ゲームズ』と称したエキジビションを行い、長年のライバルだったV・ウィリアムズ(アメリカ)を6-3, 6-3のストレートで下し、詰め掛けたファンに最後のお別れをした。
《「クレイステルス、最後の試合◇全米オープン」過去記事はこちら》
毎年この時期に行われるこのエキジビションは、通常『ダイヤモンド・ゲームズ』と呼ばれているが、4年目の今年は惜しまれながら引退していくクレイステルスのさよならの場所として、今年だけ名前を変えて行われた。
現地12月12日に行われたそのエキジビション後にヴィーナスは「ここアントワープへこうして再び戻って来れたことを嬉しく思うわ。ここには素晴らしい思い出がたくさんあるし、このイベントに招待してもらえたことを光栄に思っているの。」と、かつてWTA大会が行われた時に2度の優勝を飾っていた彼女は、その想いを語った。
それに応えてクレイステルスは「ヴィーナス、今夜こうしてあなたを迎えることができて本当に嬉しい。この15年間、あなたと対戦できたことを誇りに思っているわ。あなたからはとても刺激を受けていたし、対戦することも喜びだった。」と、ヴィーナスへの想いを込めたコメントをしていた。
シングルスの試合の後にはダブルスのエキシビションも行われた。ヴィーナスはK・フリッペンス(ベルギー)と、クレイステルスは元世界ランク1位のA・モレスモ(フランス)とそれぞれペアを組み、ヴィーナス組が勝利しシングルスのリベンジを果たした。
エキシビション後の記者会見でクレイステルスは、再び祖国でコートに立つ決断を下した理由を述べていた。
「ニューヨークで世界中のテニスファンにさよならを言えたけど、ここアントワープで祖国のファンへもう一度さようならを言いたかった。人生の素晴らしい思い出のほとんどを経験したこの街でね。」
そして、ヴィーナスもクレイステルスについて語った。
「彼女は全てにおいて上手くできる選手の一人だった。フットワークも良く安定したプレーをしていた。加えてとても攻撃的なパワーを持っていた。その1つか2つを持っている選手はいるけど、その全てを兼ね備えた彼女のような選手は、それが決定的な武器になっていた。だから、彼女はとても危険な選手だったの。」
また「たくさんの対戦があった。その中で彼女にとって最も大切な試合の1つは2005年の全米オープンでしょう。あの試合は私がリードしていたけど、彼女は逆転で勝利し、その後の全米でも優勝を果たしていたわ。それが彼女の最初のグランドスラム優勝だったの。それ以外でもどの試合もタフなものばかりだった。その後も2回、全米オープンで対戦したわ。でも私は勝つことができなかった。彼女にとって素晴らしい思い出でしょう。」と、ヴィーナス。
クレイステルスは2007年に1度引退。結婚と出産を経て2009年の夏に復帰し、2度目のプロテニス人生をスタートさせていた。
《「クレイステルスが復帰に向けて順調な調整」過去記事はこちら》
最初のテニス人生で既に素晴らしいキャリアを築いていたクレイステルス。2005年の全米オープンで初のグランドスラム優勝を飾り19週間世界ランク1位の座に君臨していた。
また、ダブルスでも2003年にはシドニー、アントワープ、スコッツデール、サンディエゴ、チューリッヒに加え、全仏オープン、ウィンブルドンと7大会で優勝。その全てを杉山愛(日本)とのペアで達成したことで、日本での知名度も高いものになった。同時にダブルスでも世界1位の座につくなど、プレーの幅の広さを証明していた。
そして、第2のテニス人生では更に2009年、2010年の全米オープンを制し、2011年全豪オープンでも優勝するなど、再び世界ランク1位にも返り咲いていた。彼女は1975年にランキング・システムが導入されてから、初めてお母さん選手として世界1位に上り詰めた選手となった。
《「クレイステルスが通算3度目の優勝◇全米オープン」過去記事はこちら》
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詰め掛けた観客の中には、同胞で同じく世界ランク1位に上り詰めたJ・エナン(ベルギー)も見守っていた。
(翻訳/弓削忠則)
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