今回ご紹介するのは、アンディ・マレー選手です。2005年プロデビューを果たしたマレーは、プロ転向1年目にしてランキングトップ100の壁を打破し、年末最終ランキングで84位(エントリーランキングは64位)と、昨年のナダルを彷彿とさせる勢いで成績を上げてきました。マッケンローをして『将来トップ10にはいる実力を持つ選手』と言わしめた、期待の新人マレーにスポットライトを当てます。
1987年5月15日、スコットランド・ダンブレーンに生まれたマレーは、父ウィリアムと、母ジュディ、兄ジェイミーの4人家族。現在アンディと略していますが、本名ではアンドリューといいます。元プロテニス選手で、スコットランド代表コーチを務めたこともある母に連れられてコートに行き、3歳でテニスを始めました。マレーは当時を振り返って、「僕は良く覚えていないんだけど、母が言うにはそんなに上手じゃなかったみたいだね。でも、早くからプレーし始めたことが今になって役に立っているよ。僕はテニスをやらされたんじゃなくて、その選択肢をもらっただけ。実は、9歳か10歳の頃、テニスが楽しくなくなって、プレーをやめたことがあるんだ。2ヶ月ほど休んだけど、またプレーしたくなった。」と語っています。
マレーは幼い頃からサッカーもプレーしており、地元のサッカーチームからスカウトが来るほどでしたが、「12歳のときにサッカーをやめて、テニスに本腰を入れることにしたんだ。簡単な選択だったよ。だって、テニスを始めて9年で、テニスは僕の人生の大きな一部になっていたんだからね。」と、テニス一筋でいくことをこのときに決めました。
2002年、クレーコートでの経験を積むために15歳でスペイン・バルセロナにあるサンチェス・カサル・テニスアカデミーに武者修行に出ます。2003年にはチャレンジャー大会で3回戦に進み初めてATPポイントを獲得。その後、グラスゴーのフューチャーズ大会で初優勝をおさめます。2004年には、2週連続優勝を含むフューチャーズ大会4勝。また、USオープンジュニアでシングルス優勝、兄と組んだダブルスでベスト4入りを決め、一気にその才能を開花させました。2005年の全仏オープンジュニアではシングルスベスト4に進み、これを機にジュニア大会から卒業し、ATPツアー本格参戦をします。
今季マレーは、昨年末の514位から84位へと、大幅にランキングを上げてきました。イギリス人として10代でトップ100に入ったのは、およそ30年ぶりのことです。ウィンブルドンでは、地元の英雄T・ヘンマンがまさかの1回戦敗退を喫する中、その分の期待を一身に受けながら、見事4回戦に進出。D・ナルバンディアンに2セットアップとリードを奪いつつも、惜しくも逆転負けを喫しました。10月のバンコクの大会で初のツアー決勝進出を決め、王者フェデラーと対戦し接戦を演じますが、惜しくも勝利とはいきませんでした。今年の最終戦となったバーゼルの大会では1回戦でヘンマンを破って、新旧交代を印象付けました。
テニスを好きなのかという問いに、「それはどうなのか分からない。ただ、勝つことが好きなんだ。勝利こそ素晴らしいと感じる。負けるのは嫌いだから、勝てるように頑張るのさ。」と語るマレー。好きなサーフェスは、スペイン育ちだけあってクレーコート。自らの最大の武器はサーブだと語っています。コートの上では自分だけが頼りと言い、時にふてぶてしい態度をも見せるマレーですが、マッケンローの言葉通り、早ければ来年トップ10に期待したいと思います。
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