今回ご紹介するのは、昨年一気にブレイクしたロシア勢の中で、トップ10にいながらもようやく最近になってシングルス初優勝を果たしたナディア・ペトロワです。彼女はシングルスのタイトルこそ無かったものの、ツアーでは上位に進出する腕前を持っており、ダブルスでは11個ものタイトルを持っています。そんなペトロワ選手のジュニア時代からこれまでをご紹介します。
1982年6月8日、ロシアのモスクワ生まれですが、両親のアスレチック・トレーナーという仕事の関係で、幼少時代をエジプトで過ごします。父ヴィクター・ペトロフは下ハンマー投げの選手で、母ナジェジダ・イリーナはモントリオール・オリンピック400メートルリレーで銅メダルを取った陸上選手という、アスリートの間に生まれたペトロワがスポーツ選手になったのは当然の事といえるかもしれません。
「ポイントが早く決まるからハードコートが好き」と語るペトロワがテニスを始めたのは8歳のときでした。その後、12歳でロシアでのジュニア大会でデビューを飾ります。2大会目からは、エジプト、イスラエルなどの大会に出場し、出れば優勝もしくは準優勝という圧倒的な成績で勝ち進みます。1997年にはエジプトで3大会連続優勝を果たし、翌年からは徐々に世界中のサーキット大会を転戦し始めました。1998年に全仏オープンジュニアで優勝、ジュニアランキング3位を記録し、1999年にはオレンジボウル準優勝、全豪オープンジュニアベスト4、USオープンジュニア準優勝と大舞台でも成績を出し始め、サーキット大会でも4大会連続決勝進出を果たすなど、頭角を現し始めます。そして、同年6月にプロ転向を果たすと、年末には自身初のWTAランキング100位以内の95位でシーズンを終えます。
2000年からも順調で、特に2001年には全仏オープンと、ウィンブルドンで4回戦に進むなどの活躍で初のトップ50入りを果たし、フェドカップ代表も経験。ダブルスでは初のタイトルを獲得します。しかし、2002年、ペトロワを悲劇が襲います。右足を負傷したため次々と棄権を繰り返すこととなったのです。ダブルスではグランドスラムベスト4に進み、その他の大会でタイトルも取りますが、シングルスではその怪我のため満足にプレーできませんでした。
ようやく2003年には怪我も癒え、トップ20の壁を破り、自己最高の12位に上昇します。グランドスラムでもUSオープンで4回戦、全豪オープンとウィンブルドンで3回戦、全仏オープンではモニカ・セレスとジェニファー・カプリアティを破って初の準決勝へ進み、ツアー決勝へも4大会で進出するなどの活躍を見せます。しかしこれが決勝に進んでも優勝できない不名誉なジンクスの始まりだとは知る由もありませんでした。2004年もダブルスでは7勝をあげ、シングルス・ランキングも自己最高の6位を記録し、ツアーでも準決勝以上の常連となるペトロワですが、シングルスではなかなか優勝できません。
2005年も好調のペトロワは全仏オープンでベスト4に入り、好調をアピールします。しかし、それでもタイトルには届かず、ベルリン・オープンでジュスティーヌ・エナン=アルデンヌに、タイ・オープンではニコレ・バイディソバにそれぞれ敗れました。今年もやはりタイトルなしで終わりか、と思われた頃、ダブルスでは過去2度優勝し相性の良いリンツの大会で遂にシングルスでのツアー初優勝を決め、トップ10以内でシングルスタイトルの無い選手という汚名を返上することに成功しました。
ここまで苦労の多かったペトロワですが、今回の優勝で自信をつけ、今後はシングルスでも沢山の優勝を飾って欲しいですね。
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