今回紹介するマルコス・バフデイティスはキプロス出身の20歳。2005年10月31日付のエントリーランキングで自己最高の55位と、今年に入って大きく上昇してきています。バフデイティスはサーブ・ストロークを得意としており、ベースラインからのストローク戦が主なプレースタイルです。10月のAIGオープンで第1シードのマリアノ・プエルタを破り、初めてATPツアーベスト8入りを果たしたことも記憶に新しいですね。今回は、そんなバフデイティス選手のジュニア時代から現在までをご紹介します。
子供の頃の憧れの選手はパトリック・ラフターだったと言うバフデイティスは、1985年6月17日、キプロス・リマソール生まれ。衣料店を営む父クリストスと母アンドレイ、マリアノスとペトロスの2人の兄、そして妹のジーナという家族構成の下に育ちます。2人の兄もテニスをプレーしており、自然とバフデイティスも5歳のときにテニスを始めます。熱心な父の下、兄弟揃ってデビスカップで活躍するほどの腕前でしたが、長男のマリアノスが15歳のときに自動車事故でテニス選手としての道を断たれてしまいます。
兄の不幸を乗り越え、「僕はチャンピオンになるべくして生まれてきた。父は僕ら三人の息子の誰かにチャンピオンになってほしかったんだ。兄がプレーできなくなった分、僕が頑張っているのさ。」と語るバフデイティスは、1999年、14歳でフューチャーズ大会のワイルドカードを獲得してツアーデビューを飾ります。その後、2002年にはUSオープンジュニアで準優勝(リシャール・ガスケに敗北)、2003年はフューチャーズ3大会で優勝し、全豪オープンジュニアで優勝、USオープンジュニアでも2年連続の準優勝をおさめ、ジュニアランキングNo.1に輝きました。またバフデイティスはジュニア時代に日本でプレーしたこともあり、2001年と2003年のワールドスーパージュニアで優勝しています。
そして、2004年にはチャレンジャー大会で2勝し、キプロス代表として臨んだアテネ・オリンピックでは2回戦に進みました。2週間後のUSオープンでは2回戦でロジャー・フェデラーに4セットの接戦の末に惜しくも敗れました。(この年のUSオープンでフェデラーからセットを奪ったのはバフデイティスとアガシのみ。)しかし、ATPツアーをまわり出してから、怪我による2度の長期ツアー離脱を強いられ、ランキングも伸び悩んでいました。
そんなバフデイティスが再上昇のきっかけを掴んだのは今年の全豪オープン。4回戦まで勝ち進み、王者フェデラー相手に接戦を演じ、一躍注目を集めたのです。その後はチャレンジャー大会に参加しつつ、予選から勝ちあがってはATPツアー本選に出場していましたが、AIGオープンで準々決勝進出、10月下旬のスイス・インドアでは準決勝で全仏オープン1回戦で敗れていたダビッド・ナルバンディアンを下し、決勝ではフェルナンド・ゴンサレスに敗れたものの初のATPツアー準優勝をおさめました。
サッカー観戦や実際にプレーすることが趣味というバフデイディスは、スイス・インドアでの決勝後、「これで、堂々としていられるよ。この意気で頑張っていれば、今回のような結果がもっと出せると思うしね。」とコメントしており、来年以降のますますの活躍に期待です。
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