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今季限りでの引退を表明している元世界ランク1位のM・サフィン(ロシア)と、フランスのベテランで“マジシャン”の異名を持つF・サントロ(フランス)が、いずれも水曜日に行われたシングルスで敗れ、ローランギャロスに最後の別れを告げた。
水曜日の2回戦に登場した第20シードのサフィンは、主催者推薦で出場のJ・ウィアンナ(フランス)に6-7 (2-7), 6-7 (4-7), 6-4, 6-3, 8-10の大接戦の末に敗れた。第1、第2セットをタイブレークで落としたサフィンだが、そこから2セットを取り試合を振り出しに戻し、逆転勝利へのシナリオを作ったが、最後は武器であるフォアハンドのクロスを叩き込んだウィアンナが4本目のマッチポイントで試合に終止符を打った。
「第1サーブが酷かった。バックハンドだって何の役にも立たなかった。全体的に何も良い所がなく、特にダウン・ザ・ラインだね。彼のバックハンドに対するアングルも効果的に使えなかった。アプローチも悪かったから、ネットでも思うようなプレーができなかった。だから今、こうして良い気分を持てずにここにいるんだ。」と試合を振り返ったサフィン。
試合中は、自分のプレーに納得がいかず、ボールを蹴ったりラケットを叩いたりと、イライラを募らせていた。全仏オープンを去ることには、それほど感情的にはなっておらず、それは彼の性格から来ることだと言う。
全仏での最高の思い出はの問いには「今日の試合を忘れることさ。」と冗談を交えながらも、「最高の思い出は、だいぶ前になってしまう。ここ5年間は目立った成績も上げられていなかったからね。」と、これで3年連続の2回戦敗退となり、あまり相性の良くない同大会だったが、最後も苦い思い出となってしまった。
同じく今季限りでの引退を表明している36歳のサントロは、今年の全仏オープンで実に20年連続出場を成し遂げていた。火曜日の1回戦途中で日没によりこの日へ順延となった1回戦だったが、第4セット3-5とリードされた所から試合が再開されて、わずか8分で終止符が打たれた。結果、C・ロクス(ベルギー)に3-6, 1-6, 6-3, 4-6で敗れ去った。
「1989年に、ここローランギャロスの10番コートに立ったのが、プロテニス人生のスタートだった。その時は、20年後にこうしてマイクを持って、みなさんの前にいるなんて想像もつかなかった。一生忘れることができない最高の20年でした。」と、試合後に会場であるスザンヌ=ランラン・コートでマイクを渡されて観客へ向けてスピーチを行った。
グランドスラム本戦出場67回と言う、史上最多出場記録を打ち立てたサントロは、1991年と2001年の全仏と、1999年の全豪オープンの3回でベスト16入りを果たしていた。同大会の20回出場も、F・ジュフレと並び最多出場だった。加えて、全仏オープンの最長試合記録も持っている。
「あれは2004年だった。6時間33分も同じコートに立っていたね。」A・クレマン(フランス)との1回戦を、6-4, 6-3, 6-7 (5-7), 3-6, 16-14で勝ち上がった試合だった。「いくつかの記録を打ち立てることができた。最長記録、グランドスラム最多出場回数。こんな素晴らしい記録を持てるなんて、思ってもいなかった。」
引退までにはまだ数試合に出場する予定のサントロ。今季残るウィンブルドンとUSオープンに出場を果たせば、また記録が更新される。テニス史に名を残す名選手がまた一人、コートを去る。
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